一会社員ではなく、
モスの理念を背負い、
将来像を描きながら
行動できることが
海外事業の醍醐味。

#.06
国際本部
横井 拓Taku Yokoi

ホテル経営学部(アメリカ)卒、1996年入社。モスバーガー直営店で7年、商品管理、購買の本部実務を3年経験。その後香港に赴任し、香港社の立ち上げ、1号店オープンに携わる。2011年には香港社の経営責任者に就任。10年の駐在を経て、現在も海外事業に携わる。

香港は「転職して当たり前」の文化
モスの理念は脇に置かれてしまった

私は国内で店舗勤務を7年、本部で商品管理と購買の仕事を経験した後、入社10年目に香港社の立ち上げを任されました。2006年の春から現地に常駐し、仕入先や流通経路の開拓、人材の採用などあらゆることに携わりました。同年10月に1号店がオープンしますが、一番苦労したのは「人」の面です。香港は――というよりも日本以外の国・地域は――基本的に転職の文化です。人間関係がうまくいかなければ、待遇に不満があれば、働く場所を変えればいい。そんな職業観を持つ人たちに、モスの理念を理解してもらうのは大変でした。現地のマスコミの協力などですぐに売上が伸びたことも、かえって理念の浸透を妨げたと思います。進出後の5年間で一気に15店舗をオープン、営業を回すことが最優先となり、その5年間で、理念に対する共感は脇に置かれてしまったのです。

10年という駐在期間をフルに使い
志のあるスタッフを地道に育成

香港のお客さまは、日本ほど「モスはこうあるべき」という期待を持っていません。だからといって露骨に営業を最優先すれば、やはりお客さまは離れ、売上はダウンします。理念に共感し、「モスでがんばる」という志を持って働いてくれる人を、地道に増やすしかない。そう決意した私は、日本の本社に「時間をください」とかけ合い、スタッフの教育に力を注ぎました。私にとって香港のモスは、我が子も同然です。離れるわけにはいきませんでした。最終的に、私は10年間香港に駐在しましたが、10年かけてやっと、モスの理念が定着したように感じています。進出当初に採用したスタッフが営業部長などの要職に就いたおかげで、私は安心して香港を引き継げました。スタッフ全員が安定した生活を送り、お客さまから支持される店舗をつくり続けることを、遠い空から祈っています。

ハンバーガーの本場に打って出る
モス初の挑戦を成功させたい

私の次の担当はオーストラリアでした。モスがいままで出店してきた地域は、いわば「アジア枠」でした。一方オーストラリアは白人社会であり、ハンバーガーが主食の国。肉に求める味、サイズ、噛みごたえは、私たちと根本的に違います。さらなるマーケットインを目指し、さまざまな議論と調整を進めています。たとえばパティ、バンズなどの素材をすべて見直し、新しい組み立てを考案します。ライスバーガーというメニューは、見た目とレシピを変更し、「スシバーガー」にリニューアル。メニューのレイアウトも、写真中心から文字中心に変えました。実はモスにとって、本場に打って出るのは初めてのことでした。一会社員の枠に収まっている場合ではありません。香港時代のように、経営者の視点で将来像を描き、理念を背負ってマーケットを開拓しました。

(※取材当時)